グッバイ日常
私には過去の記憶、というものがないらしい。自分のことのくせに、らしい、というのは可笑しな話かもしれないが事実なのだから仕方がない。記憶にある限り一番古い記憶は冷たい雨とコンクリートの感触だった。あの冷たい雨の日から、私の運命というものはこうなるものだったのだろうか。あのまま野垂れ死んでいれば毎日のこの気苦労なんてなかっただろう。だがしかし不運にも私はそれから5年後のあの雨の日に銀色の髪をした英雄という化けの皮を被った悪魔に拾われてしまった。それがそもそも、不幸の始まりだったのかもしれない。
「…だれ、ですか」
「ほぉ。喋れるか」
「…ここ、は」
意識が闇に沈む直前に見えた眩しいくらいの綺麗な銀髪。目を醒ましたらそこは一面真っ白で眩しいくらいの照明に照らされた無機質な部屋。その部屋の中で照明を受けて輝く銀髪はとてもとても綺麗だったのを覚えている。途切れ途切れに、掠れた声で紡がれる私の声に彼は低く艶のある声で返した。
「ここは神羅カンパニーの医務室だ」
「しん…ら…?」
「そうだ」
彼はそれだけ言うと室内に備え付けられた電話でどこかへ連絡を取り出した。手持ち無沙汰になった私は未だ醒め切らぬ頭を懸命に動かし部屋の中を見回した。…窓から見えるのは無機質なビル群、それから灰色の曇り空。雨が降っていた。私があの場で意識を失ってからそれほど時間は過ぎていないようだった。彼は一言二言電話の向こうの相手に話すとゆっくりと受話器を置く。私はその音にゆっくりと振り返った。
「名前は言えるか?」
「……、だと思います」
「…思います、とはどういう事だ?」
どういう事だと聞かれても事実なのだから仕方がない。ただ初めてこの街で目を醒ました時頭に浮かんできた単語が「」だった。それは何度も何度も私を呼ぶように繰り返されるものだから、私はこれを自分の名として解釈している、ただそれだけの話だ。ファミリーネームは判らない。
「そうか……」
「あなた、は?」
「オレか?オレはセフィロスだ」
「セフィ…神、羅の、えいゆう…?」
「そう呼ばれているらしいな」
そして私の予感は的中、まさかまさかと思っていた事はとんでもない事に現実だったようだ。確かに銀髪なんて珍しい。何百万人、下手をすれば何千万人という人間が暮らすこのミッドガルでも見た事はなかったのだから。そしてミッドガル中の人間が英雄と持て囃しファンクラブまであるというこのセフィロスという名の英雄にあんなスラムの裏路地で助けられるなんてどれだけ天文学的な確率なのかと少しばかり冷や汗を流した。これがスラムの友達に知られた日にはきっと私の命はない。
「どうして、助けたんですか」
「…どうして、とは?」
「スラムの裏路地で、倒れている人間なんて…珍しくも、ないでしょう」
「そうだな……」
事実、スラムでは珍しい事ではない。倒れている人間を見た所で住人達はまるで石ころの様に見ぬふりをして通り過ぎてしまうのだ。日常茶飯事、という事はスラムで長く生活をする内に理解した。例えば貧困からくる飢え、盗みを働いた制裁、些細な切欠で起きた殺し合いの大喧嘩、挙げて行けばキリがない。それなのにこの英雄は、そんなスラムの裏路地で行き倒れていた私を助けて神羅カンパニーまで運んだというのだから私の疑問も当然だと思う。
「オレの持っているマテリアが反応した」
「…マテリア、が?」
「そうだ」
だというのに、返ってきた答えはそれはそれは的外れな物だった。マテリアという物を知らない訳じゃない。魔晄の結晶、持つ人間に不思議な力をもたらす石の事だというのは一般人の私だって知っている。でもどうして、マテリアが反応なんてするのだろうか。私はマテリアの存在こそ知りはすれ、扱った事などないというのに。
「見てみろ。光っているだろう」
彼が私の眼前に差し出したのは淡い緑の光を帯びたマテリアだった。その中には炎が揺らめいている。…確かに、私が知っているマテリアとは少し違う。光ってなんていない筈なのに、彼の手にあるそのマテリアは確かに淡い光を帯びていた。
「……そう、ですね」
「面白そうだと思ったんでな」
連れてきた。彼はそう続けるとベッドの横に置かれたイスに座ってサイドテーブルにいくつかマテリアを出してみせた。緑や黄色のそれは全て淡い光を帯びていて、とてもよく修練されているのだろうと思ったがそうではないらしい。どれだけ修練されたマテリアとはいえ、その能力を引き出そうとしなければ光る事はないのだそうだ。それが何故か、光っている。どういう事かと聞けばお前に反応しているのだと意味の判らない答えが返ってきた。
「…私、に」
「そうだ。どうやらお前にはマテリアを扱う才能があるらしいな」
「…そんな、だって、私、マテリアなんて」
「オレが言うのだから間違いはない。兎に角今は体力を戻す事を考えろ」
彼は私の謙遜、いや本音をすっぱりと切り捨てると部屋を出て行ってしまった。…何だというのだ、あの自分勝手な英雄は。少しばかりの苛立ちを感じながら、私はベッドに身を沈めた。窓の外は相変わらずけたたましい程の雨音がまるでワルツを奏でるかのように夜の闇に響いていた。
(私の運命が変わった雨の日)
あの雨の日から1週間が経った。3日程で体力は戻ったし家に帰りたいと私の主治医だという女医に何度も頼んだがセフィロスの頼みだからそれはできないと何度も断られてしまった。あの英雄は本当になんのつもりなんだか。いい加減、この白い無機質な空間にも飽き始めた頃、セフィロスは黒髪の青年を連れてやってきた。
「調子はどうだ」
「……いい加減家に帰りたいです」
「そうか、いいか」
「帰りたいです」
こんなやりとりも何度目だろうと深くため息を付いたらセフィロスの後ろに居た黒髪の男が笑い出した。私が何だこいつとばかり彼を睨んだら、彼は人懐っこい笑顔を浮かべて私の目の前に立って視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「なぁ君だろ?って。」
「…そうですけど、あなたは?」
「あ、オレザックスね」
「ザックス、」
「そそ。」
へぇ〜、と何か納得したように彼はアゴに手を当てて何度か頷いて、私をじろじろとまるで品定めでもするかのように見つめだした。何だっていうんですか本当に。
「見た感じフツーの女の子なんだけどなぁ」
「…何がですか」
「ん?いやねこのセフィロスの旦那がね。君がマテリアを扱う才能があるとかなんとかで」
「余計な事を言うな、ザックス。殺されたいか」
ぎろ、とセフィロスの蒼い瞳がザックスを睨んだ。目の前がくらくらする、と思った時にはもう遅かった。目の前に移ったのは天井、つまるところ私は倒れてしまうらしかった。あぁ、倒れる。背中に走るだろう衝撃に私は思わず目をきつく閉じた。…いつまで経っても床の冷たい感触がしなかったからきつく閉じた目を開けたら、私はザックスに背を支えられていた。
「旦那ぁ。この子普通の子なんだからそんな殺気出すなって」
「……」
ザックスの言葉から察するに、私はどうやらセフィロスの放つ殺気に当てられてしまったようだった。まだくらくらとする頭を懸命に振って、ザックスに大丈夫です、と返せば彼は背を支えて立ち上がらせてくれた。…ザックスの目も、蒼かった。
「大丈夫?」
「なんとか……」
「…すまなかったな」
「いえ、」
セフィロスが私に謝ったのを見て、ザックスは驚いた様に蒼い目を見開いた。まるで水から上がった金魚みたいに口をぱくぱくさせて、震える指でセフィロスを指差していた。…何をそんなに、驚いているんだろうこの人は。
「だ…っ旦那が謝った!」
「……少し黙れ、ザックス」
セフィロスが私に謝った、というのがザックスには信じられないらしい。その反応は判る。私だってまさか神羅の英雄に頭を下げられ謝罪される日が来るなんて思ってもいなかったし有り得ない事だと思っていたのだから。セフィロスは眉間に皺を寄せてザックスを睨む。殺気を出していない辺り、彼なりに気遣ってくれているらしかったが今はそれよりも彼の愛刀に右手が掛かっている事の方が重大だ。このまま彼が剣を抜けば大変な事になる。
「じょ、ジョーダンだってば……」
「……フン」
セフィロスは刀から手を離すとくるりと踵を返して私に向き直った。彼が手を差し出すからその手を見ればその手の中には緑色のマテリア。やはり淡く光っていて、白い光が中に見えた。
「…?」
「持ってみろ」
「え、あ、はい」
差し出されるままにマテリアを受け取った。淡く光っていたそれは私の手の中で更に強く輝き、中の光は輝きを増した。その様子をセフィロスもザックスも関心したように見つめていた。
「……すげぇ」
「やはりな。…、精神を集中して発動してみろ」
「え、そ、そんないきなり言われたって…」
無理です、と言おうとしたけれど、セフィロスの目が怖かったので泣きそうになりながら言われたとおり精神を集中してみた。何処に集中すればいいのか判らなかったから、とりあえず手の中にあるマテリアに集中させてみたら、マテリアから淡い緑の光が溢れて私の身体を包み込んだ。暖かくて、体の疲れが取れていくような奇妙な感覚。時間にして数秒だろうか。身体を包む光は消えたけれど手の中のマテリアは光を帯びたままだった。
「…なぁこれマスターレベルのかいふくマテリアだよな?」
「そうだが」
「…いきなりケアルガ使っちゃうって、すごくね?」
「そうだな」
「…、一般人だろ?」
「そうだな」
私の手の中のマテリアを見て冷や汗を流すザックスと、冷静なセフィロスと、戸惑うばかりの私。この医務室は今奇妙な空気に包まれている。私はといえば初めて使ったマテリアがそんなに凄いマテリアだとは知らなかったので、二人の会話を聞いて漸くそれを理解した時に私はそのマテリアを床に滑り落としながら素っ頓狂な叫び声を上げていた。
「えぇぇえぇぇえ?!」
「……ま、そうなるわな」
「期待以上だな。そうと決まれば話は早い。今のケアルガで傷も疲れも癒えただろう」
「……え?」
「ツォンあたりに推薦してみるか。面白い人材を拾った、と」
「お、おいおい旦那、まさか」
「そのつもりだが?」
「え?あの、セフィロスさん?私いい加減家に帰りたいんですけど」
「ダメだ。せっかく拾った面白い人材を手放してたまるか。あぁ逃げようなんて思っても無駄だからな」
「はぁ?!」
「……諦めろ、こうなった旦那は誰も止めらんねぇ」
セフィロスは腹黒い笑みを浮かべて私を見た。私はその言葉に人権無視だ、と叫びたくなったが相手は英雄なので拳を握り締めて自粛した。目の前にいるのがセフィロスじゃなかったらきっと私の左手がみぞおちを直撃しているだろう。そのぐらい理不尽な扱いだ。ザックスが私の肩に手を置いて、心底同情するぜといった表情でため息を付きながら言うものだから諦めるしかないのかと思うとめまいがした。
(そもそも拾われてしまったのが不運だった訳で)
「…珍しく来たから何かと思えば」
……額のアレは何なんだろう。目の前にいるのは黒い髪をオールバックにしたこれまた美形のお兄さんだった。どうしてこう、神羅には美形そろいなんだろう。頭に浮かぶのはどうでもいいことばかりだった。つまるところ私はこの現実を嫌々ながらも受け止めているらしかった。
「この間任務帰りにスラムで拾ってな。初めてマテリアを使うというのにいきなりケアルガを使った娘だ」
「……ほぉ」
「優秀な人材が欲しいと言っていただろう。体力は期待できんが魔力は期待できると思うが?」
「そうだな」
目の前の二人は当の本人である私の事情など聞きもせず勝手に話を進めてくれている。つまりはこの黒髪の男に私を売り渡す(という表現は正しくないだろうが心境的には正にこれなのでよしとする)つもりらしい。全く以って人権無視も甚だしい。
「…私はタークス主任のツォンだ。君は?」
「…、ですが」
「か。早速だがタークスに入る気はないか?」
「ありませんっていうかありえません。私は家に帰りたいです」
「……だ、そうだが」
タークスという名前を知らない訳じゃない。スラムで生活していれば嫌でもその名前は耳に入る。神羅の調査課、色々と危ない仕事も請け負う部署だって事くらいしか知らないけど、そこに入れと言われちゃノーと答えるしかない。だって私はつい1週間前までただの一般人、スラムの住人だったんだから。確かにマテリアを使えたのは事実かもしれないが武術の心得も何もない私がそんな所に就職したとして何のメリットがあるというんだ。デメリットしかないだろうが。
「ほぉ、このオレの推薦を蹴る気かお前は」
「蹴るも何も私はただの一般人です家に帰りたいです帰して下さい」
「却下だ」
「なんでですか!」
「何度も言うがお前の魔力は一般人からはかけ離れている。その才能を伸ばさないでどうする」
「知りませんって!私は平穏な毎日が過ごせればそれでいいんです!」
「平穏だろう?タークスに所属していれば毎月の給料も保証されるし有給もある。スラムでの暮らしよりは上等な生活が送れると思うが?」
…それは貴方達基準の「平穏」じゃないんですか。そう呟けばじきに慣れる、となんとも彼らしい言葉が返ってきた。私の人権はないらしい。逃げ出したくても相手が英雄では不可能な訳で、私に選択権と言うものは一切用意されていないのだ。
「……拒否権、ないんですよね」
「当然だ」
「……はぁ」
結局、目の前の苛ついたセフィロスをこれ以上怒らせない為にも、何より私の身の安全の為にも、タークスに入るという選択をするしかなかった。あぁ、私の人生何処で間違ったんだろうと嘆いてみるがあの日外に出なければ私はここにいなかったのかも、と考えてやめておいた。そういう事は考え出したらキリがないからだ。運命は受け入れるしかない。これもまた事実だ。
「…では、不本意だろうがこれからよろしく頼む」
「………はぁ」
ツォンさんが書類を手に席を立った所で、セフィロスはブリーフィングルームという所に戻るといって部屋を出て行ってしまった。セフィロスが出た扉が完全に閉じたのを見届けて私は大きくため息を付き、ツォンさんはそれに苦笑いを零した。
「…さて、書類はこれで終わりだ。社長には私から提出しておく」
「…帰ってもいいですか」
「残念だが君を帰してしまったら私の命が危ない」
「え、」
「自宅から寮へ荷物を運ばせよう。悪いとは思うが我慢してくれ。タークスは一応諜報部隊なのでな」
「……判りました」
どうも私はもうスラムの自宅へ帰る事は出来ないらしい。諜報部隊だなんて初めて聞いたが書類を書いた後では後の祭り、もうどうにでもなれやと半ばヤケクソでやたらと座り心地のいいソファに身を沈めた。
「あとでシスネを呼ぼう。君と同じ女性のタークスメンバーだ」
「女の人もいるんですか」
「優秀なら男女問わず採用しているのでな。社内の案内などは彼女にしてもらうといい」
「…はい」
ツォンさんが電話をしているのを横目に、医務室とはまた違った窓の外の風景を眺めた。スラムからプレートの隙間を縫って見上げていた空とは全然違うここからの光景に私は見入った。晴れ渡った空なんて、スラムじゃ見れなかったからいつまで見ていても飽きなかった。
(さよなら日常、こんにちわ非日常)