ツォンさんに渡された黒いスーツは何故かサイズがぴったりだった。疑問に思って聞いてみたらサイズはいくらでもあるという。ぱりっと糊の効いた真新しいスーツはいくらか窮屈ではあったけれど、逃げようにもあの銀髪の悪魔からはどう足掻いた所で逃げられないのは目に見えて判っていたので、私は今日からここ神羅カンパニーで働く事になった。全く、災難だ。

「…こんなんでいいですか」
「あぁ。勤務中はそのスーツで居る事。タークスの制服のような物だ。それから…IDカードは明日届く。今日はシスネと社内見学でもしていてくれ。メンバーも揃い次第紹介しよう」
「はい」

もうすぐ出社してくるだろうから暫く待っていろ、とツォンさんはコーヒーを淹れてくれた。スラムで飲んでいたコーヒーなんかよりよっぽど上等で(当然だろうけどさ)、とてもいい香りがした。何も入れずに飲んでみたらこれまた美味しくて、私は思わず笑みを漏らした。だってこんなおいしいコーヒー飲んだ事なかったんだ。

はスラム出身だったな」
「あ、えぇ。伍番街の外れに住んでました」
「そうか」

伍番街、という言葉を出した時、ツォンさんは少しだけ驚いたような顔をしたけれど何故か聞いてはいけないような気がしたので黙っておいた。誰にだって一つや二つ、言いたくない事はある。

「荷物に不備はなかったか?」
「えぇ、全部ありました。…元々そんなに荷物ありませんでしたし」

そして昨日の夜、つまりセフィロスの策略によって無理矢理タークスに入ることを決められた私の荷物が早々に社員寮の私の部屋に運び込まれた。手回しが早いとため息を付いたら兵士さんは笑った。スラム暮らしだったから、荷物といっても必要最低限の着替えだけだ。食事はいつもバーで済ませていたから自炊する事なんてなかったし、家具は全部部屋に揃っているからと言われれば運び込む荷物は旅行カバン2つ分くらいの物。兵士さんが驚くくらい私の荷物は少なかったらしい。

「お早う御座いますー…って、あなた誰?」
「あぁ、来たか。シスネ、紹介しよう。今日からタークスに入る事になっただ」
「初めまして、です」
「女の子だ…!私、シスネ。よろしくね」
「えぇ、よろしく」

シスネさんはにっこりと笑って握手をしてくれた。タークスにはシスネさん以外男性しかいないから、同じ年頃の私の加入は嬉しいらしい。それは私も同じだと返せばそうだよね、と笑う。仲良くなれそうだと直感した。

「さて。シスネ、今日は一日の案内役だ。社内の案内や仕事の事を教えてやってくれ」
「あ、はい。」
「そうだな…昼食を摂ったら一回戻って来てくれ。アイツらの紹介も済ませておきたい」
「判りました。……行きましょ、
「はい」

嬉々として歩き出したシスネさんの後ろを着いて私も歩き出した。


* * *


「此処はリフレッシュルームとかサロンとかがあるフロア。食堂もここね、社内行動の基準になるフロアよ」
「…広いんですねえ」
「そりゃあ、社員が沢山いるからね」

64階、と書かれたここが社員達の憩いの場らしい。タークスの事務室があったフロアと全然違ってあちこちから人の話し声が聞こえてくる。一通りフロアを見回った所で時計の針は丁度昼過ぎを指していたので、シスネさんと二人で食堂に入った。

「食券買ってね。オススメはBランチよ」
「うわ、安…Bランチ500ギル?」
「安くて美味しいから評判いいのよ、社員食堂」
「へぇー…」

ずらりと並んだ食券販売機(社員がたくさんいるからこれぐらいないと食事時は戦争だそうだ)でシスネさんオススメのBランチの食券を買った。カウンターのおばちゃん(シノさんという少々恰幅のいい中年女性でここの主任らしい)は私を見ると大きな声であら!と叫んだ。

「まぁまぁ、シスネちゃん、新入りかい?」
「えぇ、今日から配属になったんです。ね?
「あ、はい。」
「そうかいそうかい」

それじゃあ入社祝いにサービスしてあげなくちゃね!と言ってシノさんは食堂の奥に引っ込んでいった。その間にも次から次へと社員さん達が食券を出しては食事を受け取って行って、タークスの象徴の特徴ある黒いスーツに身を包んだ私は通り過ぎていく社員さん達の何か言いたげな好奇の視線に晒されていたが予想が付いた事だったので軽く流しておいた。

「はいお待たせ。シスネちゃんのも今日はオマケしといたからね」
「ありがとうシノさん」

シスネさんと二人でトレイを持って、端っこの方の席に座った。どうにも広すぎるこの食堂はスラム暮らしが長かった私の性には合わないらしい。慣れるまで暫く時間が掛かりそうだ、と小さくため息を吐いた。

「…ところではどうしてタークスに?」
「あー……不本意というか不慮の事故というか…まぁ、」
「???」
「セフィロス、さんが」
「セフィロス?!」
「マテリアを扱う才能があるから、ってツォンさんに…そんで、強制的に」

ほんと不本意、と続けたらシスネさんは驚いたような目で私を見た。あのセフィロスさんが…と信じられないといった声色で続けるもんだから、ほんと信じられないよと心の中で相槌を打ってサラダを口に運んだ。

「マテリアを?」
「よく判らないんだけどね…」
「そっかぁ」
「多分、後でツォンから説明あると思うから」
「そうだね、とりあえず食べよう!」

シスネさんはそう言うと幸せそうな表情で食事を摂り始めた。私もそんなシスネさんに少しだけ笑って食事を始めた。



(昨日と打って変わった私の世界)



「ただいま戻りました」
「あぁ、戻ったな。、こっちへ」
「?はい」

食事を終えて事務室に戻ったら、ソファに二人の男性が座っていた。一人は赤毛でどことなく不良っぽい印象を受ける人。もう一人はスキンヘッドにサングラスというそっちの道の人かと疑うくらい体格のいい人で、二人とも私たちと同じ黒いスーツを着ていた。つまり、彼らはさっきツォンさんが言っていたタークスの同僚、という事になるらしい。

「へー…新入りって女なのか、と」
「あぁ。あのセフィロスの推薦だ。体力に問題ありだが魔力、精神力はセフィロスのお墨付きだ」
「んなすげぇヤツには見えないぞ、と」

赤毛の男性は私をまるで品定めでもするかのようにじろじろと見下ろした。ザックスといいこの人といい、神羅の社員はみんなこんなか、と少しばかり毒を吐きたくなった。

「…ツォンさんから話は聞いている。ルードだ。よろしくな」
「あ、はい。よろしくルードさん」
「オレはレノだぞ、と」
「レノさん…も、よろしく」

ツォンさん、レノさん、ルードさん、シスネさん、そして私。これが今のタークスメンバーらしい。ルードさんは見た目のいかつさからは想像つかないくらい(軽く失礼だけどごめんなさい本音です)優しいいい人だった。スラムの住人だった私の事を真摯に気遣ってくれているというのは出会って数十分という短い時間でも十二分に理解できたのだから間違いはないだろう。それよりも問題はこの赤毛、レノさんだ。さっきから私の横に陣取った彼はスキあらば肩や腰を抱こうとしてくる。その度に私は避ける。そんなやり取りが数回繰り返されたあたりで、レノさんの脳天にルードさんの拳が落ちて事態は一応収拾、二人がけソファに座った私の隣にはシスネさんが座る事になった。

「……少しは自重しろ、レノ」
「いたた…少しくらい手加減しろよ、本気だったろ、と」

ルードさんに首根っこ引っ掴まれたレノさんは私とシスネさんが座るソファの後ろに立つ。私の前にはテーブルを挟んでツォンさんが座っている。ツォンさんはふぅ、とため息を吐いて(吐きたくなる気持ちは判ります)、書類を私に差し出した。

「寮に戻ってからでいいのでそれを読んでおいてくれ。タークスの仕事について簡単にまとめたものだ」
「あ、はい」
「…とりあえずから改めて自己紹介を頼む」

ツォンさんにそういわれたのでソファから立ち上がってレノさんとルードさんの方に向き直った。

「えーと、今日からお世話になります、です。昨日までほんとにただの一般人だったのでご迷惑かける事ばかりだとは思いますがよろしくお願いします」
「あぁ、こちらこそ」
「だぞ、と」

ルードさんとレノさんは少しだけ微笑んでそう言葉を返した。私もその反応に笑みを返して、ソファに座った。

「……それでだな
「はい、なんでしょう」
「基礎体力測定をしておきたいんだが構わないか?」
「……へっぽこもいいとこだと思いますけど、」

新入りの基礎体力測定、という事でシスネさんから手渡されたジャージ(といっても普通のスラックスにTシャツだったけど)に着替えた私の前にはなにやらファイルを持ったツォンさんがいる。ツォンさんの後ろでシスネさん達は面白そうだといった顔をしていた。そんな、貴方達に比べるまでもなくそこらの一般人よかへっぽこですよ。そう思いながら皆に続いてジムへ向かった。


* * *


「……恐ろしいくらい平均的だな、と」
「持久走1500m8分49秒…垂直飛び45cm、握力右28kg左20kg……」
「だ、だからへっぽこだって言ったじゃないですか…!」

結果が書き込まれたファイルを覗き込む4人と、疲れてへたり込む私。測定なんてするだけ無駄だったんだよ、平均データ持ってくれば話は足りるのになんでわざわざ!と思ったけれどタークスという特殊部隊に所属する以上仕方ないと思って諦めた。言っておくが手を抜いた訳じゃない。全力でやってこれなんだ。

「体力的には…平均もしくはそれ以下だな」
「ですねぇ…次はマテリアですか?」
「あぁ。、少し休んだら移動するぞ」
「もうどうにでもなれってんだこんちくしょう…!」

少しばかり素が出てきた気がするが仕方ない。スラムで生きてきたんだから気性が荒くなるのは仕方がないとして、スラムの皆は私の事を揃って「黙っていればそれなりに可愛い」なんか言うもんだから常に猫を被って生活する癖がついていた。弱弱しい女でいればスラムの住人はそれなりに親切だったから、という腹黒い本音は今更言ったって何の問題もない。

、ジュース飲む?」
「シ、スネさん…ありがとございます」
「しかしほんと普通だな、と」
「だから昨日まで一般人だったんですってば…」

シスネさんから受け取ったオレンジジュースを一気に飲み干す。レノさんは呆れたようにため息を吐いて言うけどこればっかりは今日一日で変わるもんでもない。体力を伸ばすなら長い目で見てじっくりと伸ばしていかないといけないのだから、少しずつ伸ばしていくしかないんだよレノさん。

「…ま、あのセフィロスのお墨付き、っていう魔力に期待かな、と」
「そうですね。あ、でも何処で試すんです?」
「トレーニングルームでいいだろう。」
「いきなり実践ですか?!」
もタークスになった以上甘えは許されない」

シスネさんとツォンさんが何やら言い争いをしている。その話題の人物はといえば間違いなく私で、話の内容から察するにトレーニングルームという場所で私はモンスターと戦闘させられるハメになるらしい。冗談じゃないと思ったが逃げ切る自信はないので諦めた(こればっかりだ、私)

「ヘッジホッグパイ1匹程度なら平気だろう。いざとなったら助けてやればいい」
「……はい」

当事者である私を放置して話をまとめたらしいツォンさんとシスネさん。ルードさんとレノさんから不安げな視線を送られたが今一番不安でいっぱいで逃げ出したいのは私だ。もしツォンさんの今の台詞が事実なら私は生まれて初めてモンスターと戦わなければいけないことになる。そりゃあスラムにいた時にモンスターに遭遇した事はあるけれどその度に巧く逃げ切った訳で、タイマン張ったことなんてないんだよ。ほんと此処から逃げたいよ。

「…さて、そういう訳だ。移動するぞ」
「……だ、大丈夫かな私…」
「危なくなったら助けるから、安心しててね」
「…う、うん」

少しばかりの不安はあるけれど、モンスターの一匹くらいシバき倒せないで何がタークスかと腹をくくる事にした。意外にも順応性があるらしい自分に自分でびっくりだけど、ここ数日で起きた事の密度が高すぎたから一気に順応性が出てきたのかも、と思った。


* * *


「…マテリアの使い方は判るな?」
「一度使ったきりですけど…なんとか、」
「そうか。渡したマテリアはれいきのマテリアだ。それを使って仕留めてみろ」
「は、はい」

トレーニングルームの個室(というかガラス張りの訓練場?)に押し込められた私の手にはひとつのマテリア。ガラス越しに私を見守る4人を横目に、私の目の前にモンスターが現れた。

「お手並み拝見だぞ、と」

レノさんがそう呟くのが機械越しに聞こえた。目の前のモンスターは様子を伺っているのか襲い掛かってくる気配はない。今のうちだと精神集中を始めた私の周りを、この間と同じようにマテリアから放たれた淡い光が包み込んだ。手に冷たい感触がして、そういえば渡されたマテリアはれいきのマテリアだったと気付く。

「…いける、かも?」

手の中で輝くマテリアから放たれた光は私から離れて上空で氷の塊を作り出す。それはそのままモンスターの頭上に落ち、モンスターはあっさりと倒れた。マテリアを見つめていたら背後で扉が開く音がしたので、ガラス張りの個室から出たらシスネさんが抱きついてきた。

「すごいすごい!今のブリザガよ?!」
「えと、そうなんですか?」
「自覚なしかよ、と…すげぇな
「……さすがというか何というか…」

何処がどう凄いのか、今の私にはさっぱり理解が出来ないがタークスがそういうのだからそれなりに凄いのだろう。本当にマテリアが扱えるらしい私はいよいよ逃げ道を失った。

「セフィロスが是非にという訳だな。、君の魔力はずば抜けて高いようだ」
「そ、そうなんですか」
「あぁ。一般人であれば下位魔法のブリザドを使うことすら困難だろうな」

スラムの友達はぬすむとかのマテリアを使っていたけれど、そういえば魔法系のマテリアは誰一人として使っていなかった。使えない、というのが正しかったんだと今気付いた。あのセフィロスの目に止まった私って実は凄い才能あったんだと思ったが、その才能が結果として私を非日常に放り込んでしまったのだからすこしばかり呪いたくなった。

「そうだな、暫くは体力を伸ばす事に専念しつつマテリアの扱い方を覚えてもらおう。マテリアが使いこなせれば少々体力がなくとも実践に出せそうだ」
「……」

恐ろしい言葉を有難う御座います、とは言えなかった。ツォンさんが言う実践というものの内容を今は考えないでいたい。せめて、その時が来るまでは。




(ポジション的には魔法使いになったらしい私)