「…結局これといった事件もなかったですねぇ」
「ま、平和なのはいい事だぞ、と…」

結局、八番街の警護初日はこれといった大きな事件もなく過ぎて行った(スリや喧嘩はあったけど私達タークスが出るまでもなかった)夕方5時を知らせる鐘の音が鳴り、一日が終わったと安堵したのも束の間、この後本社に戻って報告書やら何やらを書かなくてはいけないのが面倒だ。まぁ、今日はこれといって特筆すべき事もないので、午後7時には会社を出れそうだけども。

「ですねぇ」
「んじゃ、戻るか…」
「はい」

レノさんと並んで八番街を歩く。LOVELESSの開演時間が迫っているらしい劇場前は黒山の人だかりだった。…休暇に入ったら絶対観に行ってやると心の中で呟いて、いつの間にか前を歩いていたレノさんの背中を追った。



(吸い込まれそうなくらいの夕焼け。きっと明日は快晴だろう)



「……誰も居ませんね」
「だ、な…」

執務室に戻ったら誰もいなかった。各々の予定が書き込まれているホワイトボードを見れば、皆今日は現場から直帰と書かれていた。わざわざ本社に戻ってくる事なかったかなとため息を吐いたらレノさんはソファにぼふんと音を立てて身体を投げ出していた。

「あーあ、戻ってくる事なかったな、と」
「そうですね……」

とりあえずコーヒーでも飲みますか。そう言ってコーヒーを二人分淹れた。レノさんは気だるそうに煙草に火を点けていた。せっかく戻ってきたのだから報告書だけでも書いておこうとコンピューターの電源を入れる。コンピューターの無機質な呼吸音と、キーを叩く音が小さく響いた。

「なぁ
「はい?」
「この後暇だったら一緒に夕飯食いに行くか?っと」
「レノさんの奢りなら喜んでー」
「…手厳しいな、と…」

苦笑いをしながらかりかりと頭を掻くレノさんに思わず笑いを漏らしたら何で笑うんだ、と少し不機嫌なレノさんの声が帰って来た。

「冗談ですよ。割り勘でよければ行きましょ、私もお腹減りました」
「あ、あぁ……」

ふと窓を見れば夜の帳が降りている。さっきまでの真っ赤な空は真っ黒に染まって、魔晄炉から漏れる緑の光が夜空を彩っていた。


* * *


「…バーじゃないですかここ」
「メシも酒もうまいんだぞ、と」
「はぁ…レノさんらしいといえばらしいけど……」

1時間程で報告書の作成も終わったので、レノさんが言う行きつけの店に連れて行ってもらう事にした。八番街の路地裏、レンガ造りのビルの地下にあるその店は薄暗いバーだった。……なんでバーかな。

「マスター、オレいつものな、と」
「はいよ…隣のお嬢ちゃんはお連れさんかい?」
「オレんとこの新入りだ」
「そうかい。お嬢ちゃん、何にする?」
「…じゃあミートソースと…アイスティーを」

レノさんは店に入ると迷う事なくカウンターの端から2つ目の席に腰掛けて、1番端の席をぽんぽんと叩いて私を呼ぶ。イスに座ると、この店のマスターらしい男性とレノさんが親しげに話しているのが目に入る。急に話題を振られた私は、目の前に置かれていたメニューから適当にミートソースを頼んだ。

「初の現場はどうだった?
「どうって…これといって何もしてませんから何とも言えませんよ」
「…ま、それもそうか」

言いながらレノさんがグラスを傾ける(いつものやつ=ジントニックらしい)。私の注文したパスタはまだ来ないので、アイスティーをストローで掻き混ぜた。からからと氷がグラスに当たる音が小さく響く。レノさんは早々と一杯目を飲み終え、二杯目をマスターに注文していた。どうもレノさんは酒豪らしい。

「明後日から休暇なんだってな」
「あ、えぇ。1週間程いませんけど書類処理はきちんとやって下さいね」
「判ってるぞ、と……んで、休暇中何するつもりなんだ?」
「何って…スラムに帰って、それから買い物してLOVELESSの舞台を観て…」
「そうか、と…楽しんで来いよ」
「…そのつもりです」

先輩達を差し置いて一人で1週間も休暇なんて少しだけ気が引けたけど、これはここ1ヶ月と数日の残業ばかりの過酷な労働に対するそれなりの対価と思っておく事にした。何より、セフィロスさんの署名がある休暇届けを取り消しなんてしたらセフィロスさんに何て言われるか判ったもんじゃないからだ。

「…ところで。お前セフィロスと仲いいみたいだな、と…」
「仲良くないですよあの人私を拾ってタークスに押し込んだ張本人ですよ悪魔ですよまったく」
「悪魔、ねぇ…英雄に向かって物凄い言い様だな、と」
「本当の事ですもん。私の意見なんて聞いちゃくれなかったんですよ?才能があるなら伸ばせとかなんとか…」
「まぁお蔭でオレは助かってるけどな」
「レノさんの書類処理全部私がやってるんですからそうでしょうねえ」

嫌味たっぷりに言えばレノさんは苦笑いを浮かべた。…っていうか何でセフィロスさんの名前がここで出てくるのかな。あ、レノさんも件の噂を耳にした、とか?…いやそれはないな、だって私がタークスに入ったときにツォンさんがしっかりセフィロスの推薦だとか言ってくれちゃってたしな。

「ソルジャーの連中が噂してたんだぞ、と」
「あー…あの“セフィロスの紹介でタークスに入ったんだからどんだけ強いんだ”ってアレですか」
「…いや、違うぞ、と」
「え」
「あのセフィロスが最近よく笑うらしい。で、その原因がだってハナシ」
「………は?」

いやいや待って待って。何そのハナシ初耳なんですけどレノさん。あのセフィロスさんが笑う?……想像したら鳥肌立ってきたよしかもその原因が私って何なの何を根拠にそんな事を…!

「おーい戻ってこーい」
「…はっ。レ、レノさんそれ誰から、」
「さぁな?オレもこの間聞いたばかりだぞ、と」
「えぇえ……」

そんな噂が流れているなんてこれっぽっちも知らなかった。とりあえず明日あたりザックスを締め上げて聞き出そうか。そんな事を考えていたら頼んでいたミートソースが出てきたので、空腹を満たす為にとりあえずこの疑問は頭の隅に追いやって食事をする事にした。

「…ま、その様子だとセフィロスと特別な関係って訳でもなさそうだな?」
「当たり前ですよ何恐ろしい事言ってくれちゃってんですか天地がひっくり返ってもありえませんよそんな事」
「そうかそうか」

レノさんはくく、と低く笑ってジントニックを飲んだ。私はパスタを口に運ぶ。レノさんが言うだけあってここのパスタは絶品だった。あとでお店の場所を覚えておこう。是非他のメニューも食べてみたい。



* * *



「態々送っていただいて有難う御座いました」
「こんな遅くに女の一人歩きは危ないからな、っと…」
「…レノさん私もへっぽこなりに一応タークスなんですけど」

バーを出たら夜10時を回っていたので(そんな長い事話し込んでたのかと思うくらい、時間が経つのは早かった)レノさんが社員寮まで送ってくれた。女子寮は基本男子禁制なので、エントランスホールまでだけど。

「…鈍いにも程があるぞ、と…」
「え?何か言いました?」
「いや、何でもないぞ、と……明日も早いんだから早く寝ろよ」
「…?えぇ、有難う御座いました」

レノさんが何かぼそっと言っていた事が気になったけど聞き返す間もなくレノさんがエントランスホールを出てしまったので結局聞けずじまいだった。明日辺り聞いてみようかと思ったが余り聞かないほうがいい気がしたのでこの疑問は夢の世界に捨ててくる事にしよう。レノさんの背中が見えなくなるまで私はエントランスホールに佇んでいた。

「……あー疲れた…」

部屋に戻ってスーツを脱ぐ。シャワーを浴びながら化粧を落とした。薄化粧とはいえ肌の手入れを欠かすと肌荒れでとんでもない事になる。スラム暮らしが長かった割に私の肌はデリケートらしい。

「明日も八番街の警護か…一応本社に行かないとダメだよねー…」

携帯端末から明日の予定を確認しつつテレビをつけた(これと言って変わったニュースもなければ大きな事件もなく、今日もミッドガルは一応平和らしかった)。個人IDを入力すると仕事の予定や連絡事項が全て把握できるこのシステムは最近試験的に運用されたものだけどすこぶる評判はいいらしい。確かにどこからでも予定が把握できるのだからその評判の良さにも頷ける。

「…んと…0800から1700まで八番街警護…って事は6時起きか。もう寝ないと」

社員寮は本社ビルと隣接しているのでそこまで急ぐ物でもない。ただ女の身支度には時間が掛かる物なので余裕を持って6時に目覚ましをセットした。ベッドに身を沈めてブラインド越しに夜空を見る。今日も変わらず魔晄炉から溢れる緑の光が星のない夜空を照らしていた。









(英雄と野良猫、何かと話題になりやすいらしい)