「……あれ？さん、首のとこ虫さされですか？」
事の発端はクラウドのその一言だった。自分の首を指差して、物凄く純粋な目で私を見ながらそう言うクラウドに私は言葉を詰まらせる事しかできなかった。もしこう言ったのがザックスだったのなら、えらく楽しそうにニヤニヤとしながら言っただろう事だけれども、今私の目の前にいるチョコボの雛のようなこの純粋な彼の思考回路はそんな腐った方向には進まないと言うのは重々承知している事なので私は余計に返答に困ってしまった。心当たりはありすぎる。脳裏にあの赤毛の先輩が過ぎったのを無理矢理かき消した。
「え、あ、そ、そうかも昨日虫除けスプレーやるの忘れてたから、」
「オレ、医務室行って薬貰って来ましょうか？」
「だ、だだだだ大丈夫自分で行くからごめんねクラウドまた後で！」
生まれたてのチョコボの雛よろしく純粋な瞳で私を見るクラウドをそれ以上直視できずに私は首を押さえて慌てて休憩室を後にした。今日はこのまま執務室に篭ろう、アンジールさんはともかくとしてジェネシスさんやセフィロスさんやあまつさえザックスに見つかってしまっては最悪な事態になる。幸いにして今日も今日とてレノさんがやり残した山のような書類が残っているからいつもよりスローペースでやれば終業時間ギリギリまで書類の処理という名目で執務室に篭りきりになれる。ツォンさんもルードさんもシスネさんも私とレノさんの関係はとうに知っている事なので、ソルジャー連中に見つかるよりはいくらかマシだろうと考えての事だった。……そう、その時は忘れていた。クラウドは純粋であるが故に隠し事が出来ない性格だという事を。
「……オレ、何か変な事でも言ったかなぁ」
「あ？クラウドじゃん何お前も休憩？」
「あ、ザックス。そうなんだけど…」
慌てて休憩室を出て行ってしまったさんの背を呆然としたまま見送ったその５分後、トレーニングを終えたらしいザックスが汗を拭いながらペットボトル片手に休憩室に入って来てオレに声をかけたので、ザックスに聞いてみる事にした。少しズレているところがあるとはいえいつも冷静なあのさんがあそこまで取り乱したところを見たことが無かったから、もしかしたら虫さされなんかじゃなくて何か悪い病気だったのかもしれない。
「どうしたどうした元気なくねぇ？」
「さっきまでさんがここにいたんだけど、さんの様子がなんかおかしくて」
「が？あいついつもおかしいじゃん」
「そうじゃないんだ。首に虫刺されがあって、薬貰って来ようかって言ったら慌てて…」
「……そうかそうか。クラウド、別にお前は悪くねぇよ」
何だか黒い笑顔でオレの肩を叩くザックスは怖かった。もしかして言ったらいけない事だったのかと思って嘘だと言おうとしたらザックスは既に休憩室を出たあとだった。……オレは休憩室に一人取り残されたまま、どうかさんの身に何も起こりませんようにと祈る事くらいしかできなかった。さんと恋人関係にあるらしいタークスのレノさんは、ザックスやセフィロスさんを何かと敵視している所があるというのは、あの二人を遠目にしか見ていないオレにだって判る事なので、どうか今日も一日平和に過ぎますようにと呟いた。
「ー！」
「ザ、ザザザックス？！セフィロスさんまで！何ですか？！」
今一番聞きたくない声と一緒にドアがとてつもなく盛大な音を立てたので思わずキーボードにコーヒーを零しそうになりながら振り返ったらやっぱりそこにはザックスとセフィロスさんがいた。ソルジャーフロアと間違って来たのかと思えばそうでもないらしい。現にザックスの顔はニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべていたしセフィロスさんはいつもに増して仏頂面で眉間に皺を寄せていたのだから、どうやら私の悪い予感は的中してしまったらしい。最悪だ。
「虫刺されだって？」
「………さーて何の事やら」
「すっとぼけんな。クラウドに言われて慌てて戻ってきたんだろ？ただの虫刺されなら慌てる事ねぇよなー？」
「う……」
「……、見せてみろ」
「ちょ、や、何すんですかセフィロスさん！セークーハーラー！」
セフィロスさんが有無を言わさず私の髪を掴んで首筋を覗き込むもんだから、昨日レノさんが付けた紅いしるしはばっちりと二人の視界に映ってしまった。いつも結んでいる髪の毛を下ろしてコテで巻いた所で結局は無駄な抵抗だったらしい。兎に角私の首筋を直視したままの二人の表情は対照的だった。ザックスは楽しそうに笑っているし、セフィロスさんは眉間に刻まれた皺をより一層深くしてしまっている。………レノさん、逃げて。
「おーばっちりついてますねー昨日はお楽しみですか？ちゃん」
「う、うるさいな違うってばこれは本当に虫さされだって！」
「、正直に言え。あの赤毛は何処だ」
「……し、知りません」
セフィロスさんはあろう事か正宗に手を掛けて地を這うような低い声で私に言った。レノさんは今日仕事でミッドガルを出ているのでセフィロスさんに見つかることはないだろうけども、確か明日には戻ってくる予定のはずなので、どうにかしてレノさんを本社に近づけないようにしないといけない。そうしないとレノさんの命の危険が危ない。目の前のセフィロスさんの目は獲物を狩る狩人の目だった。そういえば初めて会った頃セフィロスさんの殺気にあてられて倒れたなぁ、私もなんだかんだでこの職場に慣れたもんだとどうでもいいことが頭に浮かんで来るあたり、私の頭は現実逃避モードに入ってしまったらしい。
（正直に言った方がいいと思うぞ？オレ）
（誰の所為だと思ってんだよ莫迦野郎！あんたでしょセフィロスさんに言ったの！）
「、答えろ」
「う……レ、レノさんなら今日は出張で、ミッドガルには、いません……」
「そうか。今日がヤツの命日だ、喪服でも用意しておくんだな」
「こっ怖い事言わないで下さいよ大体なんでセフィロスさんが怒るんですか！」
「お前を拾ったのは誰だ？お前の、現在の保護者は、一体誰だ？」
「セ、セフィロスさん、ですけども！セフィロスさんには無関係な話でしょうに！」
セフィロスさんがため息を吐く。この状況を招いたであろう張本人のザックスは笑っていた。本気でザックスに対して殺意が芽生えたけど仕方ないと思う。とにかく今のこの状況を何とかして打破しなければ、レノさんの命はおろか私の命までもが危険に晒されている事だけは明確だ。目の前にいる銀髪の英雄のその背中に黒い翼が見えたのは気のせいだと思いたい。
「オレが拾った野良猫に妙なノミがくっ付いている。駆除しないでどうする」
「言うに事欠いてノミとはなんですか訂正して下さいよ私の先輩ですよ！しかも私は猫じゃありません！確かに多少人間かどうか定かじゃない部分はありますけど一応れっきとした人間です！」
「…さぁ、あのふざけた赤毛は何処へ行った？言え」
「う……い、言いません。絶対に言いません！後輩として先輩の命を危険に晒すなんて事は出来ません！」
「、言え」
「い、いやです」
セフィロスさんが殺気を飛ばしてくるけども、レノさんの後輩として、何より恋人としてここは譲る訳にいかない。倒れそうになりながらも必死で抵抗をしていたらセフィロスさんは漸く私の髪を離した。安心したのも束の間、セフィロスさんはあろう事か私が使っているコンピューターを触り出したのでこれはまずいとばかり私は手加減を忘れ力いっぱい長く伸びたセフィロスさんの銀髪を引っ張った。ぐきりと嫌な音がしたけれどそんなの今は関係ない。目の前のこの悪魔を止めなければ、下手をすればレノさんの命は今日限り終わってしまうのだから。
「……、離せ」
「だっダメですプライバシーの侵害ですセクハラです副社長に訴えますよいいんですか？！」
「………関係ない。オレはオレのしたいようにするだけだ」
「ダメですってばーーー！」
いくら力いっぱい髪の毛をひっぱったところで私は体力的には一般人と変わらない訳で、対するセフィロスさんは仮にも英雄と謳われるソルジャークラス１ｓｔな訳で、結局は無駄な抵抗に終わるらしい。セフィロスさんは私が髪の毛を引っ張り続けているにも関わらず平然とした動きでコンピューターを操作していた。このまま操作されていればレノさんが今何処でどんな仕事をしているのか、きっとセフィロスさんは突き止めてしまうだろう。そうなればセフィロスさんがレノさんを追いかけてまた下らないトラブルを起こす事は目に見えて判ってしまう事なので、申し訳ないと思いつつも私は最終手段に出る事にした。今この場でレノさんの命を守れるのは私しかいないのだ。
「ダメだって言ってるでしょういい加減にして下さいッ！」
以前副社長から頂いてこっそり修練しておいたひっさつのマテリアを握り締めて、私は力いっぱいセフィロスさんの足の間、つまり股間を蹴り上げた。運良くクリティカルヒットが的中した様で、セフィロスさんは息を詰まらせてその場に膝を着いた。……英雄とは言え急所攻撃には対応しきれなかったらしい。蹲ったセフィロスさんを見てザックスが顔を真っ青にしていたけど、私は女だからこの痛みは判らないし判りたくもない。第一悪いのは聞き分けの無いセフィロスさんなのだから自業自得だ。
「、お前 …っ」
「わ、悪いのはセフィロスさんです私は何も悪くないっていうか正当防衛です！そういう訳ですので、サヨウナラっ！」
蹲ったセフィロスさんが私を睨んできたので、私はコンピューターのコンセントを無理矢理引き抜いてダッシュで執務室を飛び出した（複雑なパスワードを掛けてあるから再起動すれば操作はできない）。行き先はミディール、レノさんが現在出張している魔晄温泉が沸くという小さな村だ。この際だから副社長とツォンさんにに事情を説明して、少しばかり出張期間を延ばしてもらおうと思う。……結局それも無駄な抵抗に終わるのだろうけれども、ザックスに後でセフィロスさんを止めないと全力で殺しにかかるぞと脅しを掛けておけば大丈夫だろう。兎に角、セフィロスさんが復活するその前にミッドガルから脱出しなければ。携帯でヘリの出動要請を出しながら、私は全速力で非常階段を昇ってヘリポートへと向かった。
ランナウェイ！
（にげろにげろ、どこまでも）