「カダージュ、カダージュ、」 「…姉さん?どうし、」 「カダージュ、」 僕の名前を呼んで僕に縋る姉さんは泣いていた。窓の外を見ればまっくらで、きっとまだ夜明けは遠いだろうそんな時間に、僕の隣で眠っていた姉さんはいきなり泣きながら僕の肩を揺すった。僕の言葉を遮って僕に縋る姉さんの背を撫でたら姉さんはひっくひっくと肩を震わせて尚も泣き続けるものだから、僕はどうしていいのか判らなくなった。姉さんが泣いている姿は見たくないのに、僕は姉さんを泣き止ませてあげる事ができない。ねぇ姉さん、姉さんはどうして泣いているの? 「ここに、いるよね?カダージュは、ここに、」 「姉さん?もしかして、また、」 「消えない、よね?」 腕の中で僕を見上げた真っ黒なふたつの瞳は、きれいな涙で濡れていた。姉さんの瞳から零れ続ける涙は綺麗な白い頬に筋を作って、シーツに淡いしみを作る。震える姉さんの手を取って、僕がその手に口付けたら、姉さんはゆっくりと、時折嗚咽に呑まれそうになりながら言葉を紡ぎ始めた。 「カダージュ、が…消えた、あの時のこと、また 夢に見たの。…変、だよね。カダージュはこうして 私の隣にいて、ヤズーもロッズも、私には判らないけど私達の傍にいて、何も不安に想う事なんてない、はずなのに。それなのに、それなのに、いつまでも忘れられないんだ…、カダージュが消えてしまった、あの時の事、ずっと、」 僕がほしに還ってしまった事で姉さんは心を病んでいたと兄さんから聞かされたのはつい最近の事だった。姉さんは僕がこうして姉さんの前に現れるまでの半年近く、言葉も感情も失くしていたって聞いたのは。僕の記憶の中の姉さんはいつもきれいに笑っていて、その声は僕らのなかに暖かく沁み込んで来たのをよく覚えていたから、僕は姉さんがいつも笑っていてくれればいいと思って、姉さんが赦す限り姉さんと一緒にいようと決めた。兄さんは、苦しそうな顔で僕に剣を向けながらを二度と泣かすんじゃない、と言って僕にその背を向けた。…泣かすも何も、その原因を作ったのは兄さんじゃないか。そう思ったけど、兄さんが泣きそうなくらい悲しそうな顔をしていたから言えなかったのを思い出した。 「姉さん、僕は、」 「ねえカダージュ。もう、消えたりなんてしないよね?」 「……何度も言ったよ。僕は、姉さんが僕を嫌いになっても、姉さんから二度と離れたりなんてしないって、何度も何度も言ったよ?ねぇ姉さん、泣かないで。姉さんが泣いてると僕はどうしていいのか判らなくなるんだ」 「…っカダ、」 「僕は姉さんが笑っていてくれるなら何でもする。兄さんとだって、社長とだって、嫌だけど仲良くする。母さんがを泣かせたら怒りますよって言ってたんだ、だから僕は姉さんの言う事はちゃんと聞くし、姉さんが悲しむ事はもうしないよ。ねえ、だから笑ってよ姉さん」 どうする事も出来なくて、ただ姉さんの背中を撫でてそう言っていたら姉さんは僕の服を握り締めてまたその二つの黒から涙を零した。どうして泣くの、と聞けば嬉しいからだと言う姉さんがわからなかった。嬉しかったら、笑うんじゃないの? 「ちがう、違うのカダージュ、嬉しくても涙は出るの」 「…どうして?」 「カダージュが、そう言ってくれたから、嬉しいの。悲しくないけど、涙が出るの」 僕はまだまだ、姉さんのことを理解しきれていないらしい。人間は嬉しかったら笑うと思ってた(だってテレビに映る人間達はみんな嬉しいと笑ってたから)のに、目の前の姉さんは嬉しいと言いながら泣いていた。ただ、その黒いふたつの目にはもう哀しみはなかったから、僕は少しだけ安心した。 「……じゃあ笑っててよ、僕は、たとえ姉さんが嬉しくても、姉さんが泣いてる姿は嫌いなんだ」 「……うん、」 僕の腕の中で小さくそう頷いた姉さんの細くて小さな身体を抱き締めたら、姉さんは笑っていた。僕はやっぱり、姉さんの笑っている顔が一番好きだと思った。 |
嵐ヶ丘はまだ遠い