「ティキ」
「……、」

目の前にいる私の愛しいひとは悲しそうな顔で私を見た。そんな顔、今までにしたことはなかったのに、何故彼は私をそんな悲しそうな目で見るのだろうか。私はまだノアに目覚めて日が浅くて、能力らしい能力も開花しないままで、エクソシストとの決戦に身を投じようとしている愛しいひとを何もできず見送る事だけしかできなかった。無力な自分を呪うとともに、何故もう少しだけでも早く私のなかのノアが目覚めてくれなかったのかと自分のなかに宿るノアの遺伝子を憎んだ。それでも彼は私の愛した笑顔と声で、私の大好きな大きく無骨なその手で私の髪を優しく撫でるものだから、わたしの醜い独占欲はまた大きく膨らむのだ。

「どうか、どうかご無事で」
「オレは死なないよ、お前を残してなんて死ねるもんか」
「わたしは、なにも、なにも、」
「いいんだ、はただ此処でオレの帰りを待っていてくれればそれでいいんだよ、
「ティキ、」
が待っていてくれるならオレは絶対に帰ってくるよ。だから大丈夫だ」
「でも、わたし、はっ」
はオレらの帰るべき場所でいて。迷うことなく帰ってこれるように、ここで」
「……ッ」
、言っただろ、オレはもう二度とお前を置いて死にゃしねぇよ」

ああ、それでも。貴方が嘘を吐くと疑う事は悪い事です。けれど私は不安で不安で、あなたがあのときのように私の知らぬ場で命を落としてしまったらと不安で不安で、それでもあなたは私の髪を優しく撫でて口付けをくれるものだからわたしはそれに安心しきって依存してしまう。そう、嘘だと判ってはいても、あなたのその優しい嘘に縋るしかない自分が酷く惨めで。

「ティキ、どうか、どうかご武運を」
「ああ、」
「わたしはここで、あなたの無事をいのっています、だからどうかどうか、」
「あぁ、オレは還って来るよ、約束する」
「ご無事、で…っ」

彼の優しい手の感触は彼の手が離れて彼が部屋を後にしてもずっとずっと残ったままで、嫌な予感はぬぐいきれないまま私はまた泣いた。









(武運長久をお祈りします、とは言えなかった)






**************************
携帯サイトさよならマーメイド夏休み企画。 武家の娘さんとティキのお話。時間軸的には方舟の中、110夜のちょっと前くらい。
武運長久=戦いにおける良い運が長く久しく続く事。