わたしは、もう、もどれない。
あなたのとなりに、ならべない。
わたしはあなたの、てきだから。
灰色メランコリア 23
「……はどこに行っちまったんだろな……」
「ティムの映像記録にも残ってなかったである…」
ラビ達を乗せた船はミランダのイノセンスによって一時的ではあるが回復し、江戸への航路を走っていた。
船室は重苦しい空気に包まれていた。
アレンのイノセンスは破壊され、アレンはアジア支部へ。
はレベル3アクマに連れ去られたまま行方不明。
「……ユウに合わせる顔がねぇさ……ッ」
ラビは苦しそうな表情で机に拳を叩き付けた。
を守ってやれなかった、と。
「ラビ君…ちゃんは、大丈夫だと思うわ……」
「ミランダ……」
「ちゃんは、強いんでしょう?私達が…仲間が信じてあげなくてどうするの……?」
ミランダは泣きそうになりながらもラビに言う。
彼女の脳裏に、優しい笑顔で自分を励ましてくれたの顔が浮かんだ。
(ミランダはいいお嫁さんになるね)
(だってこんな美味しい料理が作れるんだもん!)
自信がなかった料理を美味しいと褒め、満面の笑みでそう言ってくれた。
ミランダはどうかあの優しい少女が生きていますように、と祈るように目をきつく閉じた。
「……そう、さな……アイツが死ぬワケねーよな……」
ラビは窓から空を見上げて、祈りを込めて呟いた。
イノセンスを失っても、エクソシストでなくなっていてもいい。どうか生きていてくれと。
***
「………つらいか?」
「……まだ整理がつかないよ…」
ロードに案内された部屋--今日から此処がの部屋だという--で、は椅子に座っていた。
テーブルを挟んだ向かい側にはティキ。湯気を立てるカップからはアールグレイの香りが漂う。
「辛いなら、記憶消してやるぜ?」
「………」
悲しそうな顔をしたまま、ティースプーンで紅茶を混ぜるを、ティキは頬杖をつきながら眺めていた。
スプーンを握る左手の薬指に光る銀の指輪が、ティキの目に留まる。
「なぁ、その指輪ってさ」
「……だいじなひとに、もらったの。」
「…あ、そ」
「……約束、したの。でも、それはもう叶わないの。」
ティキは言葉を止め、涙を流すを見ていた。
ぽたり、とカップに涙が落ちる。は構わず言葉を続けた。
「私は、彼の、敵だから。もう、隣に並ぶことはできないから。
生きて彼の隣に帰る、って、約束したのに。」
「……エクソシストなんだ?そいつ」
「………うん………
だから、彼に会うまでは……記憶をなくすのは、いやなの」
ぽたり ぽたり。
カップに幾粒も涙が落ちる。
ティキはテーブルに身を乗り出し、の髪を撫でた。
「わがまま言って、ごめんなさい。私を思って言ってくれたのに」
「いや、気持ちが判んねェワケでもねーから気にすんなって」
ティキは内心複雑だった。
目の前にいる少女が、汽車の中で自分を殴った強気な少女とは全く違ってみたからだ。
そしてその原因が、ノアに目覚めた事で恋人の許に帰れないと悲しんでいる事が判ってしまったから。
千年公から見せられた、アクマが記録したというの映像。
東洋人らしからぬ色素の薄い肌と瞳、そして陽を受けて輝き風に靡く金糸の髪。
そしていつかノアとして覚醒する事になる、と聞いて、心臓が高く波打った。
ノアの遺伝子同士が引き合うのだろうか、柄にもなく一目惚れなんかしてしまって。
それは汽車でに出会い、確信へと変わって。
そして今、手に入れたいと願った彼女は目の前にいるのに、見ているのは自分ではなくほかの男。
「……彼に会えたら、お別れしたら、」
「………あぁ」
「“ノア”として、私は生きるから」
だからその時まで待って、というの表情は今にも消えてしまいそうな程儚かった。
ティキは一瞬眉を顰めると、カップを置いての目を見つめた。
「………オレさ」
「?」
「に惚れてんだ。」
「え……」
唐突に告げられたその言葉に、は目を見開いて言葉を失う。
ティキは予想通りの反応に苦笑いを零し、言葉を続けた。
「汽車で会う前から、千年公にの映像見せられてから。気になってしょうがねーの」
「ティキ、私は、」
「判ってんよ、そいつが好きなんだろ。
今この場で記憶いじってオレに惚れさせる事も出来るけどさ、そんなんで手に入れたくねぇの」
そんなんで手に入れたってつまんねーだろ
そう言って苦笑いを浮かべるティキに、は何も言えずただ俯いていた。
「………だから、さ」
「ティキ…?」
「がそいつとケジメつけるまで、オレは待つから。」
だからいつかオレを見て、と続けるティキに、は胸を締め付けられた。
もう、神田の隣には戻れない。戦い、殺しあう運命なのだ。
かといって、ティキの手を取る事も出来ない。まだ何処かで、信じていたのだ。
ユウはきっと受け入れてくれる、と。
それは一縷の望みではあったけれど、自分の身に起きた変化を受け入れるには余りにも細すぎる希望ではあったけれど。
今は何か縋るものが欲しかった。
「……ティキって優しいんだね」
「……“家族”には、な。」
「そっか」
は涙を堪えて微笑み、もう冷たくなってしまった紅茶を飲んだ。
***
「ー、ちょっと来てぇー」
「?ロード?」
ティキが部屋を出て行って暫く--およそ2時間程後だろうか--、今度はロードがの部屋へとやってきた。
は読んでいた本--本棚に入っていた英語の本--を閉じると、ロードに続いて部屋を出た。
いいからいいからぁ、と手を引くロードに、は頭上に「?」をいくつも浮かべたまま着いていく。
「どこ行くの?」
「江戸ぉ。」
「江戸…って、日本?」
「そぉだよぉー。家族に紹介しないといけないしぃー。千年公が連れて来いってぇ」
江戸。ラビ達が向かっている先。
はロードのその一言に戸惑うが、手を引くロードの足は止まらない。
もしも会ってしまったら、と考えるが、それはいつか必ずやってくる事なのだと自分に言い聞かせて必死で足を動かした。
「入ってぇー」
エントランスホールにあったのは、扉。
ベルリーニの街でロードが使った扉と良く似たその扉を、ロードは開ける。
そうしてに手を伸ばし、大丈夫だからぁ、とその背を押す。
が足を踏み入れた事を確認するとロードもそれに続いて入り、扉を閉めた。
閉められた扉はふっと消え、目の前には桜が咲き乱れていた。
「桜………」
「の祖国でしょぉー?懐かしい?」
「うん……」
扉を抜けたそこはどうやら庭園のようで、は咲き乱れる桜を見上げていた。
ロードはそんなを暫く見つめた後、頭の後ろで手を組んだままに言った。
「僕千年公に呼ばれてるから先行くねぇー。この先にティッキーいるはずだからぁ」
「うん、判った……」
は桜から視線を逸らさぬまま言う。
ロードはまた扉を出し、その中へ消えた。
の頬を風が撫でる。風に舞う桜吹雪をとても懐かしく感じた。
「綺麗……」
見上げたまま、ゆっくりとロードの指した方角へ向かって歩く。
いつだったか行った日本庭園に良く似た其処は、の心を落ち着かせた。
「………懐かしい、な」
ふふ、と笑う。
そのまま橋を渡れば、池の畔にティキがいた。
は少し足を速めた。
「ティキ」
「お、?どしたのお前千年公の屋敷にいたんじゃねーの?」
「ロードが連れて来てくれた。家族に紹介したいんだって」
「ほー」
ま、座れ。そういうティキの横にすとんと腰を降ろす。
はあたりに散らばる魚の骨を見て、恐る恐るティキに声を掛けた。
「……ティキ、まさか鯉食ってたんじゃ……」
「いやー、腹減っちゃってさー」
「……やだ、ちょっとはなれて近づかないで鯉の踊り食いってなんか汚い生臭い魚臭い」
「え、ちょっと其処まで拒否んなくてもよくない?」
はティキの香水の香りに混じって風に乗って来た生臭い魚のにおいに飛びのいた。
ティキは明らかに自分を拒否するに冷や汗混じりに手を伸ばしたが、払いのけられた。
『消〜えないぃ〜』
「は?今何つった?」
相変わらずそっぽを向いたままの。
ティキの横--とは反対側--に浮いていたカードから声がした事には驚き振り向いた。
『消ぃ〜えないんでございまぁ〜す…ア〜レンウォ〜カ〜の名前がぁ〜……』
「アレン?!ちょっとティキ、アレン君に何したの?!」
「あー………仕事でちょっと、ね」
「………っ」
はティキを睨みつける。アレンに何かしたんだという確信を抱いて。
ティキはそんなの態度に苦笑いを浮かべた。
『こすってもこすっても〜〜〜〜』
「いやいやいや!んな訳ねェから!!
しっかりこすれよお前檻から出たいからってウソついてんじゃねぇぞ」
ティキは手にしていた鯉でカードをどつく。
カードのはずなのに、ゴッという鈍い音が響いた。
『ぶぅ〜
こ〜いつは生ぃ〜きてるぅ〜』
「生きて……?!アレン君は生きてるの?!」
『名前が消えない以上はぁ〜死んで〜いないということでぇ〜す〜』
カードの中の囚人--セル・ロロンというらしい--は鉄柵に手を掛け言う。
はその間延びした声に安堵の溜息を吐いた。
「おいおい〜〜〜……カッコイイ服装したお兄さんが池で鯉盗み食いしてんなよなー
特別任務中なんだって?ティキ」
声に振り向く。其処にいたのは二人の少年。
褐色の肌と額の聖痕から見るに、二人もノアなのであろう。
「よう双子か。今日も顔色悪いな」
「デビットだこのホームレス」
デビット、と名乗った黒髪の少年はティキを蹴るが、ティキは呆れた表情のまま腕でその蹴りを止めた。
「ジャスデロだ!」
「「二人合わせてジャスデビだ!!」」
黒髪の少年はティキの横にいたに気付き、銃口を突きつけた。
「アンタ見ねぇ顔だな〜……?新しい“家族”か?」
「あ………、です。、……」
が突きつけられた銃口に怯えながらも言葉を返す。
、という名前にデビットとジャスデロは顔を見合わせて。
「“”?!じゃーお前が社長が言ってた“天秤”か?!」
「ヒッ!“天秤”が来た!ヒッ!」
「………みんな私の事知ってんだね」
「そりゃーそーだろ〜?ってかさ、アンタこのホームレスの女?」
「は?!」
何の脈絡もなく言われたその一言に、は思わず上ずった声を上げて立ち上がる。
デビットは図星か、とでも言わんばかりの表情でに向かって悪意の篭った笑みを浮かべていた。
「違うよ。誰がこんな低俗男」
「あれ、未だに根に持ってんのあの事」
「当たり前だバーカ」
け、っとそっぽを向くに、デビットとジャスデロは顔を見合わせて大声で笑い出す。
「ギャハハハハ!ティキだっせぇー!!!」
「ヒッ!フラれた!ヒッ!!」
「頼むからチョット黙れお前ら」
はぁ、と溜息を吐いて言うティキを、デビットとジャスデロが挟む。
「ところでアンタさ、オレの関係者殺して回ってんだろ。
日本に来たのもそれって聞いたんですけどぉ〜?」
「ですけどっ!」
「あぁ、クロスなんとかって奴をね……あっち行けよ」
「そいつはエクソシスト元帥でオレらの獲物だ!!!
手ぇ出したらブッ殺すぞ!!!」
「コロすっコロすっ」
「は?」
中指を立てて怒りを露に詰め寄るデビットに、ティキは思わず一歩引いて間抜けな声を返す。
は石に座ったまま、桜の舞う空を見上げていた。
***
「ああ なんだお前ら元帥殺しでクロス担当なんだ?
てかだったらはやく殺れよいつまでかかってんの?」
「うっせーなアイツは稀に見るしぶとさなんだよ!!」
「もう3回くらい殺しに行ってんだけど失敗してんの。ニヒヒヒ」
ジャスデロが引く人力車に座った3人--デビットとティキの間にはいる--。
人力車とは思えないスピードでそれは道を走っていく。
「アンタこそひとり暗殺しそこねたそうじゃんか。聞こえたぜさっき。アレンなんとか?」
「……うるせェな」
ティキはぶすっとした表情で頬杖を着いている。
は人力車を引くジャスデロを見ながら、3人乗せてるのにこのスピードって凄いなぁ、などと思っていた。
「で、ドコ向かってんの?」
「千年公とロードも来たんだと」
「……!ジャスデロ止まって!!前、前!」
がそう言うが早いか、人力車は凄まじい音を立てて何かを撥ねる。
それは綺麗な弧を描いて、人力車の後方5m程の地点に落下した。
「オイ今なんか轢いたぞ」
人力車を止め、3人は今撥ね飛ばされた物体を見た。
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自分でも気付かない内にノアとしての自我が確立し始めているちゃん。
2007/04/14 カルア