「……なんでレノさんがいるんですか」
「なんでとは心外だな、と…後輩の心配しちゃ悪いかよ」
心外なのはこっちの台詞だ。八番街のプラットフォームに降りたら何故かレノさんがいた。レノさん今日は本社で書類処理なんじゃなかったんですか。そう聞けば私が心配だという。それを口実に逃げて来たらしい。この分だと休暇明けにはまた書類の処理に追われる事になるんだろうなと深くため息を吐いた。
「いえ、ただ書類の処理はしてくださいね、私もうやりませんよ」
「冷たいな、と……」
冷ややかに吐き捨てて背を向けた。レノさんは苦笑いを零すと私の後ろ2メートルの距離を保ったまま着いて来る。正直、うざったい。うざったいが、私は新入りでレノさんは先輩だから何も出来ない。あぁ、もどかしい。
「…予想より早く着いたなぁ…そういえば朝食まだだし食べとこっかな」
「そこの3つ目の角曲がったとこにコーヒーが旨い喫茶店があるぞ、と」
「…なんで着いて来る気マンマンなんですか」
心底嫌そうに言えばレノさんは一言暇だからと言う。暇じゃないでしょう書類の処理もあるんだから、と言えばそれは明日からやるから今日は一日の指南役だと訳の判らない事を言い出した。相変わらず掴めない人だと思った。
曇天エメラルド
(魔晄都市で見上げる空はいつも緑色に輝いている。それが晴天だろうと曇天だろうと)
レノさんが言う喫茶店は、そう広くはないロッジ調のランプの照明が空調でゆらゆらと揺れる少し落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。植え込みで仕切られた一番奥のテーブルにレノさんと向かい合わせに座ってモーニングセットを頼んだ(トーストと目玉焼きとサラダとヨーグルトとコーヒーだった)。レノさんは朝は食べない主義なんだと言ってコーヒーを飲んでいる。
「…なぁ」
「なんですか?」
「その、なんだ…好きなヤツとか、いるのか?」
「……レノさんそういうの世間一般じゃセクハラって言うんですよ」
妙に真剣な顔で言うもんだから何かと思えばレノさんらしいとても下らない質問だった。呆れてそう返せばレノさんはう、と言葉を詰まらせてコーヒーカップをスプーンでかき混ぜ出した。ブラックなんだから混ぜたって意味ないのに。
「大体なんでいきなり突拍子もなくそんな事聞くんですか」
「いや…別に深い意味はないぞ、と……」
「そうですか。じゃあ答える義務もありませんね」
「…今日はやけに冷たいな、と…」
「レノさん鏡見て来てないんですか首筋にキスマークばっちり着いてますよだらしない」
「え゛」
レノさんは慌てて首を押さえた。…綺麗に髪をセットしてる癖に気付かないのか、それとも確信犯なのか。どちらにせよレノさんの女性関係なんて知りたくもない。私は遊び人は嫌いだ。付き合うなら一途な男と決めている。
「気にしませんっていうかどうでもいいんですけど仕事はきちんとしてくださいね、先輩」
「あ、あぁ……」
レノさんは気まずそうに視線を逸らしてなにやらぶつぶつ言っていたがぶっちゃけた話どうでもいい。別にレノさんが何処で誰と何していようが私には関係ない。関係あるといえばそのだらしない女性関係のせいで仕事に支障が出ては困ると言う事くらいだ。この手の男性は得てして修羅場に巻き込まれやすいのはスラムでの生活で知った事だった。
(遊び人と野良猫、まだまだ先は長そうです)
なんとなく気まずい雰囲気のまま喫茶店を出てLOVELESS通りに向かう。まだ朝の8時前だと言うのに、ここLOVELESS通りは人で溢れている。何かと思えば、今日はLOVELESSの舞台がある日だと電光掲示板に表示されていた。つまりここに居る人達はLOVELESSを観に来た観客という事になる。レノさんが煙草吸ってるから一人で行ってこいと言って噴水近くのベンチに座ってしまったので、私は一人で詰め所に向かった。
「あぁ、お待ちしてましたよ。私は警邏隊長のイオと申します」
「神羅カンパニー総務部調査課のです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。」
警邏隊の詰め所に入ったら30代半ばほどの体格のいい男性、イオさんがいた。イオさんは私に座るように促すと、向かいのイスに腰を下ろして仕事についての話を始める。粗方の事はツォンさんから聞いているので、これといって戸惑う事もなかった。
「…そういう訳でして、さんには我々で手に負えない輩の拘束及び連行をお願いします」
「判りました。」
「では、中央広場辺りの警護をお願いします。私はここにおりますので、何かあればお知らせ下さい」
「えぇ。」
手渡されたトランシーバーをポケットに仕舞って詰め所を出る。時計に目を落とせば9時43分を指していた。
「レノさん」
「お、早かったな、と」
「今日は中央広場の警護だそうですけど…レノさん本当に戻らなくていいんですか」
「気にすんな気にすんな、と」
さっきの事(喫茶店でのレノさんの首筋にキスマーク発見事件)は既にレノさんの中ではなかった事にされているらしい。切り替えが早いというか、もし気まずいままだったら今日一日どうしようとか思ってた私が馬鹿みたいだ。ため息を吐いてレノさんの隣に座る。レノさんは相変わらずつまらなそうな顔で紫煙を燻らせていた。…そんな顔するなら何で着いて来たんですか、と言いかけてやめた。また何か下らない事を言われてしまいそうな予感がしたからだ。
「…?何見てるんだ?」
「…え?あ、えぇ、空、です。そら」
眩しいくらいの陽が射す空をぼんやりと見上げていたら、レノさんの赤い髪が視界に入った。座った膝に肘を着いて私を見上げながら、レノさんは私と私の視線の先、つまり空を交互に見た。
「空?なんでまた」
「私、スラム出身だから。スラムからじゃ、そらは見えなかったから」
「そういえば…言ってたな」
「きれいなエメラルドグリーンだなぁって」
プレートの隙間から見えるそらしか知らなかったから。私は海も森も草原も砂漠も、凡そ自然が生み出した物は見た事がないんですよ。空ですら、神羅に就職して初めて自分のこの目で蒼く晴れ渡る空を見ました。ブラウン管越しにしか、私はせかいを知らないんです。
「…そうか、と」
「…いつかは、この目で見たいんです」
「タークスに居れば世界中飛びまわれる。海も森も草原も砂漠も雪も氷河も見られるぞ、と」
ま、仕事で行くのもつまんないだろうからいつかオレが連れてってやるぞ、と。レノさんはそう言って私の頭を撫でた。エメラルドグリーンのそらに、灰色交じりの雲がゆっくりと流れていた。
(誠実な愛情を注げば君はオレを見てくれるんじゃないかと思ったんだ。)