「佐助、帰っ……、殿…?」
「…旦那、話すからちょっと来て」

昏睡状態のちゃんを上田城まで連れ帰って、使ってない部屋に確か蒲団が一組あったから、ちゃんをそこに寝かせたら旦那が来た。
俺様の飛ばした鳥が知らせたんだろうけど、旦那は蒲団で眠るちゃんを見て狼狽えてた(当然だよね、奥州にいるはずのちゃんが甲斐にいるんだから)
呆ける旦那の背を押して廊下に出れば空が明るんでてもう日の出は近い。
手短に話さないと……

「…何故殿が」
「…竜の旦那に縁談が来たらしいよ。で、縁談を結ぶ為には竜の旦那が傍に置いてるちゃんが邪魔だった」
「…………まさか」
「多分ね。忘却香…記憶を消す薬、嗅がされてる。その上で森に捨てられてたよ……だから多分、目が覚めたら」
「…俺達の事も、全て…?」
「………最悪の場合は、ね…何もかも忘れちまうかも知れない」
「………そう、か」

それならそれでいい。
名前すら忘れてしまうと言うならば。
もう一度やり直せば良いだけの事だ。
……最初から。
奥州にいた事、政宗殿の事も、何もかもを忘れてしまえばいい。

「……佐助」
「判ってますよ、情報漏洩はさせませんって」
「……頼むぞ。」
「はいはいっと…ちゃんに悲しい顔させたくないしね。」

明るみ始めた闇に溶けるように姿を消した佐助の気配も消える。
一陣の風に乗って消えたのは佐助の気配か、の記憶か。



* * * *



「………?」
「……起きられたか」
「……あなた…誰?」
「……!」

あぁ、やはり。
全てを忘れてしまっているのか。

「某は真田源二郎幸村と申す。そなたが門前で倒れていたので我が城にお連れした」
「…門前…?」
「…まだ混乱しておられるのだろう。ゆっくり休まれよ。」
「………わたし、」
「ん?」
「……なにも、思い出せない…」

琥珀色の瞳に涙を浮かべて悲壮な声を上げる、以前お会いした時とは真逆だった。
ただ…護りたい、と思う。

「…もしやそなた…記憶をなくしておられるのか…?」
「……」

態とらしく聞けば涙を落としながら頷く。
例えば殿に名を教えたとして、何かが変わるだろうか。
殿は殿、違う名で呼びたくはない。
だが……

「……名も、判らぬか…?」
「……はい……」
「…そうか……では、」

名だけを覚えていれば良い
俺が殿と呼び、返事を返してくれれば。
(けれどそれは諸刃の剣でもある)
(本当はそれを、望んでいるのに)

「……、と…お呼びしても良いだろうか」
「…………」
「左様。」
「…判りました…真田様、」

頭を下げて俺を呼ぶ。
真田様、などと……いや、記憶を無くしているのならば仕方ない事だが、それでも…

「幸村と呼んでは頂けぬか」
「……幸村、さま…?」
「…出来ればで良いのだが…様というのも…呼ばれ慣れておらぬのでな」

苦笑いしながら言えば殿も苦笑を溢し、幸村さんと呼び直す。
それが妙に心地好いのは、殿が何もかもを忘れてしまったのに俺を呼ぶ声が変わらぬままだからなのか。

「…水を持って来よう。ずいぶんと魘されていたからな」
「あ…はい…」

すぐに戻ると言い残し襖を閉める。
庭には佐助がいた。

「……やっぱ、全部?」
「あぁ。名すら覚えていなかった」
「……そっか」
「…忘却香とやらの効果は?」
「判んないねぇ…効果は想いの強さに比例して強くなるから…あの様子だと多分…」
「………長期に渡る、か…」
「最悪、解けないまま」
「………」
「…ま、こればっかりは流石の俺様にも判んないな…ちゃん次第だよ」

皮肉な物だ。
殿の奥州への…政宗殿への想いが大きければ大きい程効果が大きいとは…いや、感謝するべきか…

「…でさ、大将に一応言っとかないとだよね?」
「あぁ。」
「じゃ俺様大将に言ってくるから。多分、躑躅ヶ崎に呼ばれると思うけど」
「判った。頼むぞ、佐助。…それと」
「ん?」
殿ではない、殿だ」
「…あぁ、そういう事。了解。」

鳥に捕まり空へ飛んだ佐助を見送り、水を汲む為に厨へ足を向けた。
キシキシと鳴る廊下がやけに五月蝿く感じた。



* * * *



殿」
「…はい」
「水をお持ちしたが…飲めるか?」
「あ…ありがとうございます」
「済まぬな、武田では最低限の女中しか雇っておらぬのだ。某は厨の勝手が判らぬ故、何もお作りして差し上げられぬ」
「あ…大丈夫ですよ。お腹すいてませんし…お水、美味しいです」
「……そうか」
「はい」
「……本当に、何も…覚えてはおらぬのか?」
「…はい…何も…ただ、」
「ただ?」

「ただ、これだけは…」

そう言いながら裾を握りしめた殿の着物の色は、政宗殿の陣羽織と同じ蒼い着物だった。
薄暗かったから、日が昇るまでわからなかった。

黒だと思っていたそれは、深い深い蒼だったのだと。

同時に、まだ彼女の心の奥底には政宗殿への恋慕があるのだと。

「蒼色、でござるか…」
「あおいろ………」
「好きなのだな」
「…なんだか懐かしい気がします」
「そうか」

ふわりと微笑む。
その微笑みは俺に向けられた物ではなく、記憶に微かに残る政宗殿に向けられた物。
記憶を無くして尚、蒼は忘れぬのか。
それ程までに想っていたのか、……政宗殿を。

「蒼……」
「…着物も、作らねばな。」
「え?」
「暫くは養生せねばなるまい。いつまででも構わぬ、此処におれば良い」
「…いいんですか…?」
「記憶を無くしたそなたを放り出す事は出来ぬ。此処は某の城故、気に病む事もない」
「……はい……」

そう、いつまでも。
俺の隣にいれば良い。
記憶を無くしたままでいい
新たに時を積み重ねれば良いだけだ。

「…そろそろ皆が起きる頃か。食事はこちらにお持ちしよう」
「…すいません、お世話になります」
「良い、某がそうしたいだけだ。殿は甘んじて受け入れてくだされ」
「……はい」

目を伏せて小さく返事を返し、顔を上げて僅かに微笑む。
……俺に、向けて。

「……では、また後程。少し眠られると良い…余り寝ておらぬだろう、隈が出来ておる」
「あ……」

頬に触れる。
…暖かい。
殿は此処にいる。
幻ではない…確かに、此処にいる。

「起きてからでも遅くはなかろう。ごゆるりと休まれよ」
「…………はい…」

滑らせるように手を離せば頬を僅かに染め俯く。
弱やかで、儚い。

「……幸村、さん……」

名を呼んだ声は、部屋を出たあの人にきっと届かないだろう
でもなんだか懐かしいような、そんな気がする名だったから

「幸村さん…幸村さん、」

何度も何度も、見えない紐を手繰るように呟いた。
次第に意識は闇に溶けて、眠気に身を委ねるまま、眠りに落ちた。




追憶に消えた蒼
(鮮烈に残ったのは、やさしい紅)
(蒼色のあなたは、誰?)
(振り向いた姿は掻き消えた)







追憶に消えた


(鮮烈に残ったのは、やさしい紅)
(蒼色のあなたは、誰?)
(振り向いた姿は掻き消えた)





→懺悔
にじいろの幸村は真っ黒推奨ですごめんなさい(;´`)
色々捏造しまくりですいません。
政宗の縁談は一応史実を意識したは良いものの
今さら弱小大名の娘を嫁に貰う程領地は小さくないよなーって気がしますが
ここは書きたかった話なので書きます。
あくまで政宗夢ですから幸村オチはにはならないです多分←

幸村は言葉に出す時はと呼び、心の中ではと呼んでいます